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更新日:2021年2月15日
区分 | 建造物 | |||
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名称 | 旧細川家住宅 【主屋】 |
旧細川家住宅 【内蔵】 |
旧細川家住宅 【外蔵】 |
旧細川家住宅 【看板】 |
員数 | 1棟 | 1棟 | 1棟 | 1基 |
所有者 | 宇陀市 | |||
所在地 | 宇陀市大宇陀上2003番地:宇陀市歴史文化館「薬の館」 | |||
年代 | 江戸時代 | 江戸時代 | 江戸時代 | 江戸時代 |
写真 |
区分 |
絵画 |
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名称 |
阿騎野の朝(油彩画) |
員数 |
1面 |
所有者 |
宇陀市 |
所在地 |
宇陀市大宇陀中庄202番地 |
年代 |
昭和15年 |
写真 |
区分 |
歴史資料 |
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名称 |
阿騎野の万葉歌碑 |
員数 |
1基 |
所有者 |
宇陀市 |
所在地 |
宇陀市大宇陀迫間25番地 |
年代 |
昭和15年 |
写真 |
区分 |
歴史資料 |
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名称 |
春日神社の水鉢・五輪塔地輪 |
員数 |
1基 |
所有者 |
春日神社 |
所在地 |
宇陀市大宇陀春日59番地 |
年代 |
鎌倉時代:水鉢には元禄6(1693)年転用 |
写真 |
区分 |
歴史資料 |
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名称 |
春日神社の水鉢 |
員数 |
1基 |
所有者 |
春日神社 |
所在地 |
宇陀市大宇陀春日59番地 |
年代 |
江戸時代:元禄6(1693)年 |
写真 |
区分 |
歴史資料 |
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名称 |
道標 |
員数 |
1基 |
所有者 |
岩室区 |
所在地 |
宇陀市大宇陀岩室 |
年代 |
江戸時代:嘉永5(1852)年 |
写真 |
区分 |
考古資料 |
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名称 |
谷脇古墳出土遺物 |
員数 |
1括 |
所有者 |
個人 |
年代 |
古墳時代(6世紀)、平安時代 |
写真 |
区分 |
彫刻 |
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名称 |
木造阿弥陀如来坐像 |
員数 |
1躯 |
所有者 |
極楽寺 |
所在地 |
宇陀市榛原篠楽150番地 |
年代 |
平安時代後期(12世紀) |
概要 | 宇陀川と笠間川との合流点、その北辺の高台に位置する極楽寺は、かつては大きな伽藍(がらん)を誇った宇陀地方きっての古刹であった。江戸時代の縁起によれば、藤原冬嗣の孫、真海(しんかい)の創建と伝えるが、詳しい寺歴は不明である。ただ、古い記録に鎌倉時代の叡尊(えいそん)が当寺にて授戒(じゅかい)を行い、室町時代には興福寺大乗院の尋尊(じんそん)が室生寺参詣の帰路に立ち寄ったことなどが伝えられる。阿弥陀如来坐像は、来迎印(らいごういん)を結んで結跏趺坐(けっかふざ)する高さ80.5cmの仏像である。構造は桧の一木(いちぼく)造り(割り矧(は)ぎ)で、頭体の幹部を一材より彫出し、前後に割り矧ぎ、内刳(うちぐり)を施したうえ、頸を割放っている。現状は古色に覆われているが、当初は漆箔(しっぱく)仕上げであった。均衡の整った躰躯(たいく)と、なだらかな肉付け、瞑想する穏やかな尊顔は、都の定朝(じょうちょう)様式のながれをくんでいる。 |
写真 |
区分 |
書籍・典籍 |
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名称 |
大般若経 |
員数 |
595帖 |
所有者 |
陽雲寺 |
所在地 |
宇陀市榛原笠間1708番地 |
年代 |
鎌倉時代後期、江戸時代(13~18世紀) |
概要 | 陽雲寺は、鳳凰山陽雲禅寺と号する曹洞宗の寺で、菩薩坐像(伝如意輪観音)を本尊としている。詳しい創建の年代は、明らかではないが、寺伝では平安時代といわれている。後村上天皇の中宮源顕子(北畠親房の子)の山陵横にあり、寺と山陵の密接な関係も推定される。
中世には、かなりの寺勢があったことをうかがい知ることができ、徳治(とくじ)2年(1307)、永享(えいきょう)元年(1429)の裏書がある「大般若経六百巻」も伝えられている。 |
写真 |
区分 |
絵画 |
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名称 |
紙本著色仏涅槃図 |
員数 |
1幅 |
所有者 |
大念寺護持会 |
所在地 |
宇陀市榛原栗谷1011番地 |
年代 |
江戸時代:寛政8(1796)年 |
概要 | 縦長の画面に釈迦入滅の情景を描いた作品である。図様は、釈迦が沙羅双樹(さらそうじゅ)の間の寝台上に横臥(おうが)し、観音ほかの諸菩薩、羅漢、国王、鳥獣らが釈迦を囲んで悲嘆にくれ、摩耶夫人が阿那律に先導されて飛来する。釈迦が右手枕すること、菩薩の悲嘆の表情を強調すること、鳥獣を数多く描くことなど、仏涅槃図の一般的な表現に従う。また、摩耶夫人も通例に従い、画面の右上から降下する。
本図は、後掲の墨書銘から、本圀寺(ほんこくじ)26代貫主の日達によって開眼供養されたことがわかる。日達は、延享4年(1747)に没しているので、この製作年代の下限が判り、本図を江戸時代中期、18世紀前半の作と見ることは画風からも矛盾しない。 |
写真 |
区分 |
建造物 |
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名称 |
旧旅籠あぶらや【主屋】 |
員数 |
1棟 |
所有者 |
宇陀市 |
所在地 |
宇陀市榛原萩原2672番地の1 |
年代 |
江戸時代末期 |
概要 |
旧旅籠「あぶらや」は、伊勢本街道と伊勢街道(あお越道)の分岐点・札の辻に位置する。古くから交通の要衝として栄えてきた街場、萩原宿の中心にあり、明治時代末頃まで、旅籠を営んでいた。 主屋は桁行六間、梁間七間、木造二階建庇付きの切妻造で、正面と袖卯建(そでうだつ)には、屋号の「あぶらや」という文字が漆喰で表されている。現在、正面開口部には目板格子、その奥に木製硝子戸を建てこみ、南側には台格子をつけている。一階には「トオリニワ」、「チョウバ」、「ダイドコロ」、「ザシキ」、二階には「ザシキ」などを設ける。建物の一部に改修の痕跡が認められるが、江戸時代後期~末の建築と考えられる。 |
写真 |
区分 |
無形民俗文化財 |
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名称 |
田口水分神社の獅子舞 |
所有者 |
田口水分神社奉賛会 |
所在地 |
宇陀市室生下田口 |
写真 |
区分 |
無形民俗文化財 |
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名称 |
大野のいさめ踊り |
所有者 |
大野のいさめ踊り保存会 |
所在地 |
宇陀市室生大野 |
写真 |
区分 |
史跡 |
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名称 |
穴薬師石仏 |
員数 | 5基 |
所有者 |
室生向渕西出下垣内 |
所在地 |
宇陀市室生向渕西出下垣内 |
年代 |
鎌倉時代:建長6(1254)年 |
概要 |
向渕集落の西端に東面して位置する。前面には覆堂があり、この周辺には中世の五輪塔などが安置されている。 高さ179cm、幅179cmの方形石の四隅を切り落とした八角形の石材(流紋岩質熔結凝灰岩)に三体の地蔵菩薩立像を彫っている。中央に、高さ17cmの蓮華座をもうけ、高さ150cmの二重円光背を彫りくぼめ、錫杖(しゃくじょう)・宝珠(ほうじゅ)を持つ像高130cmの地蔵立像、両側には、同じように蓮華座をもうけ、二重円式光背を彫りくぼめ、中尊よりやや小さい像高93cmの地蔵菩薩立像を厚肉彫りする。また、石仏の前面を柱状の石材で囲み、石室状に造る。 本尊の向かって右には、「建長六年二月卅」「宗岡守定」とあり、同じく左には「日大施主宗岡氏下司」「高橋正末」/「沙弥善定」とある。 |
写真 |
区分 |
建造物 |
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名称 |
小原の笠塔婆 |
所有者 |
室生小原上茶屋出垣内 |
所在地 |
宇陀市室生小原上茶屋出 |
年代 |
鎌倉時代後期:永仁6・7(1298・1299)年 |
概要 | 小原集落内にある辻堂墓地内の奥に花崗岩製の3基の石仏(阿弥陀三尊)が並ぶ。この前面には、2基の笠塔婆を建てる。銘文から造立年代が明らかとなっており、鎌倉時代後期の作例として貴重である。永仁6年銘の三基の石仏(阿弥陀三尊)、永仁7年銘の二基の笠塔婆に祐盛の名がみえ、これらは母の菩提を弔うために造立されたことがわかる。 |
写真 |
区分 |
史跡 |
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名称 |
下笠間の阿弥陀磨崖仏 |
所有者 |
室生下笠間 |
所在地 |
宇陀市室生下笠間 |
年代 |
鎌倉時代:永仁2(1294)年 |
概要 | 三重県境に近い笠間川右岸、流紋岩質溶結凝灰岩の崖壁に阿弥陀如来立像を彫る。
高さ185cmの二重円光背に、二重蓮華座に立つ像高163cmの来迎印阿弥陀如来立像を半肉彫りする。頭光には、放射光が線彫りされており、表情も優雅であり、体躯の均整もよくとれている。 向かって像の右脇に「永仁二年甲午五月一日願主正証」とある。 |
写真 |
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