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更新日:2017年2月22日

県指定文化財

 山岡家住宅【主屋、座敷、内蔵】(やまおかけじゅうたく・しゅおく、ざしき、うちぐら)

区分

建造物

名称

山岡家住宅【主屋】

山岡家住宅【座敷】

山岡家住宅【内蔵】

員数

1棟

1棟

1棟

所有者

個人

所在地

宇陀市大宇陀下竹1番地

年代

江戸時代中期

江戸時代末期

江戸時代末期

概要 山岡家は代々大庄屋を勤めた旧家であり、文化財指定を受けているのは主屋、座敷、内蔵の3棟である。

桁行19.29m、梁間12.88m、東端入母屋造、西端切妻造、草葦、三面庇付、桟瓦葦(さんかわらぶき)、蔵前および廊下の2室を含む。主屋の平面構造などは片岡家住宅と似ており、17世紀の建設。西側の座敷はもとあった位置に19世紀に建設したと考えられ、若干の改造もあるが、大型民家の変遷を考える上で重要な遺構である。

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 旧山岡家住宅【主屋、長屋門】(きゅうやまおかけじゅうたく・しゅおく、ながやもん)

区分

建造物

名称

旧山岡家住宅【主屋】

旧山岡家住宅【長屋門】

員数

1棟

1棟

所有者

松源院

所在地

宇陀市大宇陀迫間350番地

年代

江戸時代
文化11年(1814年)

江戸時代
文政9年(1826年)

概要

如意庵〈主屋〉桁行23.1m、梁間13.0m、切妻造段違、茅葦および桟瓦葦(さんかわらぶき)、四面庇付、桟瓦葦。〈長屋門〉桁行22.2m、梁間3.9m、南端入母屋、北端土蔵に接続、桟瓦葺。山岡家は、主屋・長屋門・隠居部屋・土倉4棟及び附属建物などで構成されている。当家は、文化11年(1814)~文政9年(1826)の12年間を費やして屋敷構えが完成したようである。比較的改造が少なく、江戸末期の民家として貴重である。

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 万法寺本堂(まんぽうじほんどう)

区分

建造物

名称

万法寺本堂

員数

1棟

所有者

万法寺

所在地

宇陀市大宇陀小出口2284番地

年代

江戸時代:承応2年(1653年)

概要 浄土真宗本願寺派の寺院で、寺伝に天正13年(1585)の創立という。本堂は入母屋造、向拝一間、本瓦葺の大型真宗本堂である。後に改変された部分もあるが、復元すると内陣は三並形式の仏壇で北余間には仏壇が無く、内外陣境は内法が同じ高さになるなど、真宗本堂としては古式で簡素な手法が随所にみられる。建立年代は向拝の絵様や瓦の刻銘から承応2年(1653)と考えられ、その後、屋根葺替を中心とした修理が施されている。全体の保存もよく、本県の真宗本堂の発展過程を知るうえで貴重な遺構である。

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 水分神社本殿(みくまりじんじゃほんでん)

区分

建造物

名称

水分神社本殿

員数

3棟

所有者

水分神社

所在地

宇陀市大宇陀平尾字宮ノ谷595番地

年代

江戸時代:貞享4年(1687年)

概要 宇陀川の東岸に面した小高い丘陵の西斜面に鎮座する。本殿は境内の東寄りに石垣を積み上げ、その上に一間社隅木入春日造(いっけんしゃすみぎいりかすがづくり)、桧皮葺(ひわだぶき)の社殿を3棟並列で西面させて覆屋(おおいや)に納めている。社殿によれば神社の創立は永徳元年(1381)と伝え、永徳9年(1566)書写『玉岡水分縁起』の記載からもおそくとも中世末には存在していたと考えられ、近世では妙福寺は神宮寺であった。祭神は向かって右から第一殿・天照大神、第二殿・水分大明神、第三殿・白山大権現(だいごんげん)をまつる。水分神社本殿は3殿とも同規模で同時期に建立されたことは明らかで、当初計式を踏襲しているものと考えられる。覆屋根は慶長4年に建てられていることから現社殿の桧皮葺や棟飾(むねかざり)はそれ以前のものと考えられることに注目に値する。宇太水分神社と同じ形式が見られ棟札から吉野の飯貝大工が携わり、大工集団としての活動範囲が宇陀地方にまでおよんでいたことがわかる。
写真 平尾水分神社

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 木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)

区分

彫刻

名称

木造阿弥陀如来坐像

員数

1躯

所有者

覚恩寺

所在地

宇陀市大宇陀牧

年代

鎌倉時代

概要 像高69.7cm、桧材、寄木造、漆箔(しっぱく)、玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう)。定印(じょういん)を結び、右足を外にして結跏趺坐(けっかふざ)する。定朝様の如来坐像をあらわしていて衣文(えもん)にも形式化が認められる。俯瞰(ふかん)の相が著しく、口もとを引き締めた表情にも特色がある。

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 谷脇古墳(たにわきこふん)

区分

史跡

名称

谷脇古墳

員数

1基

所有者

個人

所在地

宇陀市大宇陀守道モト下字黒石927番地

年代

古墳時代後期

概要 大宇陀松山から2kmにあり、吉野郡東吉野村鷲家に通じる県道に沿った谷脇集落の東方尾根上にある。径約16m、高さ約5mと推定できる円墳で、内部構造は大型の河原石を積んだ横穴式石室で、玄室(げんしつ)の長辺からの一方に羨道(せんどう)を南に開口した横に広い形を呈している。玄室は南北2.5m、東西約3.5m、高さは2.5mあり、壁は四方から持送り、巨大な一枚の天井石を支えている。また、花崗岩の組合式石棺が玄室内に安置されていて、棺内から二対の金鐶が出土している。人骨の状態などから二体の人骨が東西に別々の位置に葬られていたと観察されている。

写真




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 平尾のオンダ(ひらおのおんだ)

区分

無形民俗文化財

名称

平尾のオンダ

所有者

平尾区

所在地

宇陀市大宇陀平尾

概要 1月18日夜のオンダ行事(田植行事)。平尾は東西二地区に分かれ、それぞれ宮講を組織し、1人ずつ一年神主(大当・小当)が選ばれ、年間の水分神社の祭祀を司る。この大当・小当の勤めの一つがオンダ行事である。

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 野依のオンダ(のよりのおんだ)

区分

無形民俗文化財

名称

野依のオンダ

所有者

野依区

所在地

宇陀市大宇陀野依

概要 5月5日(もと旧暦)にセックオンダ(節句御田)と呼ばれる田植え行事が行われる。野依には宇多川を挟んで東西53戸でそれぞれ組織されるトーヤ(頭家)講があり、ここから選ばれた大頭小頭が氏神白山神社の年間の祭祀を司る。

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 駒帰廃寺【伝安楽寺】附瓦窯跡(こまがえりはいじ【でんあんらくじ】つけたりかわらがまあと)

区分

史跡

名称

駒帰廃寺(伝安楽寺)附瓦窯跡

所有者

宇陀市、個人

所在地

宇陀市菟田野駒帰283・295番地

概要 安楽寺に関する資料は多武峯談山神社(とうのみねだんざんじんじゃ)社家葛城家に伝わっていた「宇陀旧事記」の写本にみえるのが唯一のものである。以前から礎石(そせき)や葡萄唐草文(ぶどうからくさもん)瓦片の出土などがあった。発掘調査で西方建物遺構と東方建物遺構及び瓦窯(かわらがま)跡を検出し、西方建物は焼土などから焼失したことがわかる。東方建物は西方建物に接して建てられている。瓦窯は建物遺構から約70m東方の南傾斜面に築造されている。

写真

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 無渋榧(しぶなしがや)

区分

天然記念物

名称

無渋榧

員数

1株

所有者

真証寺

所在地

宇陀市菟田野宇賀志字エナカ1196番地の甲

概要 真証寺の旧境内、根廻り約2m。無渋榧は、新鮮なうちは褐色だが乾燥し外殻が割れると中から白い胚乳があらわれることから別名白米ガヤと呼ばれる。

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 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう)

区分

彫刻

名称

木造薬師如来坐像

員数

1躯

所有者

西峠区

所在地

宇陀市榛原萩原元玉小西2500番地

年代

平安時代後期(12世紀)

概要

左掌に薬壺(やっこ)を載せ、右手臂(ひじ)を前方に屈して施無畏印(せむいいん)を表し、結跏跌坐(けっかふざ)する薬師如来像(高さ83.7cm)である。桧材の一木から彫り、内刳(うちぐり)を施す。螺髪(らほつ)は細かく整え、頭部をやや小ぶりにつくって全体のバランスもよく、雅やかな顔つきと彫り口の浅い衣文(えもん)の意匠も巧みで、平安末如来像の一典型を示している。当初の光背を失うが、造立当初の荘厳のさまを伝える貴重なものである。

写真 西峠区木造薬師如来坐像

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 木造菩薩坐像【伝如意輪観音】(もくぞうぼさつざぞう【でんにょいりんかんのん】)

区分

彫刻

名称

木造菩薩坐像(伝如意輪観音)

員数

1躯

所有者

陽雲寺

所在地

宇陀市榛原笠間1708番地

年代

平安時代前期(9世紀)

概要

手首を除き、桧の一材から彫り出した一木造の彫刻であるが、造立当初の尊像名は明らかではない。束髪が大きく、耳朶(じだ)が外に反り、頬の肉どりが引き締まった個性的な容貌や、腕を太く造り肘を外に張って構え、背筋を伸ばし膝が高い正面観は、平安時代初期の緊迫感ある表現を表している。奈良県内では数少ない平安初期彫刻の一つとして注目される。

写真

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 木造不動明王立像(もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう)

区分

彫刻

名称

木造不動明王立像

員数

1躯

所有者

青龍寺

所在地

宇陀市榛原萩原256番地

年代

平安時代後期(12世紀)

概要

不動堂の本尊で、左手に羂索(けんさく)、右手に剣をもつ不動明王像(高さ94.6cm)である。欅の一材から木取りしている。全体に黒ずんではいるものの、肉身を群青色(ぐんじょういろ)とする青不動である。肩幅が狭く、肉どりは柔らかで幼児のような体型の表現は、平安時代後期の温和な特色がよく表れている。

写真

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 木造薬師如来及両脇侍像(もくぞうやくしにょらいおよびりょうきょうじぞう)

区分

彫刻

名称

木造薬師如来及両脇侍像

員数

3躯

所有者

戒長寺

所在地

宇陀市榛原戒場386番地

年代

平安時代後期(12世紀)

概要

戒長寺の本尊・薬師三尊像で中尊は榧(かや)、両脇侍は桧を用いた、いずれも内刳(うちぐり)を施さない一木彫像である。中尊(高さ84cm)は、平安前期以来の重厚な趣を残すが、頭部や胸の厚みは薄く、温和な丸い顔立ちや簡素な衣文(えもん)表現には、地方色が認められる。左脇侍(日光菩薩・高さ101.3cm)とも頭と躰の比率もよく、肉どりも穏やかで、軽やかな量感把握をみせる造形感覚は、平安後期の特色である。

写真

 

 

 

 


 

 




 

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 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざぞう)

区分

彫刻

名称

木造薬師如来坐像

員数

1躯

所有者

戒長寺

所在地

宇陀市榛原戒場386番地

年代

平安時代後期

概要

戒長寺は、真言宗御室(おむろ)派の寺院で、本像は、須弥壇(しゅみだん)中央に安置されるが、背後にある薬師三尊像の前立ちの性格もある。また、鐘楼門(しょうろうもん)には十二神将を鋳出した正応4年(1291年)銘の梵鐘(ぼんしょう)がある。半丈六の大型の薬師如来坐像(高さ134.6cm)で左手に薬壺(やっこ)を持って坐る一般的な姿である。桧材を用いた寄木造りで、円熟期の木寄せ法を用いる。伏し目の温雅な表情や、なだらかな肉取り、均整のとれた体躯、整理された衣文(えもん)表現など、いわゆる定朝(じょうちょう)様式に倣った都ぶりのする作風を示す。半丈六という大きさはもちろん、洗練された作風、円熟した技法など、奈良県内でも注目されるものである。

写真

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 鰐口(わにぐち)

区分

工芸

名称

鰐口

員数

1口

所有者

西方寺

所在地

宇陀市榛原山辺三496番地

年代

鎌倉時代後期:康元2年(1257年)

概要 鉄製、面径23.6cm、胴厚10.2cm。「成蓮(康元二年)」と陽鋳(ようちゅう)の銘あり。成蓮は施主の名と思われる。もとは山辺中村の薬師堂にあり、明治初年に本尊とともに西方寺に移された。

備考

奈良国立博物館寄託

写真

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 奥ノ芝1号墳・2号墳(おくのしばいちごうふん・にごうふん)

区分

史跡

名称

奥ノ芝1号墳・2号墳

員数

2基

所有者

宇陀市

所在地

宇陀市榛原ひのき坂

年代

飛鳥時代(7世紀)

概要

奥ノ芝古墳群は4基の古墳で構成され、このうち、昭和46年(1971年)の発掘調査によって確認された古墳が県史跡に指定されている。1号墳・2号墳の埋葬施設は、地元で産出する石材(通称榛原石)を板状に割り、レンガ状に積み上げた横穴式石室(磚積(せんづみ)石室)である。2号墳の石室内には、箱形石棺が安置されている。
1・2号墳は、飛鳥時代(7世紀前葉~中葉)の役人の墳墓と考えられ、2基が1セットとなっているようである。磚積石室は桜井市から宇陀市榛原を中心として築かれた数少ない横穴式石室であるが、1号墳は「宅地開発の邪魔」として破壊されてしまったのは、非常に残念である。

写真

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 御井神社境内のツルマンリョウ群落(みいじんじゃけいだいのつるまんりょうぐんらく)

区分

天然記念物

名称

御井神社境内のツルマンリョウ群落

所有者

御井神社

所在地

宇陀市榛原檜牧964番地

概要 ツルマンリョウとはヤブコウジ科に属する暖地性植物で直射光線にあたると枯死してしまう。花は葉腋に集束して出て、小花梗(しょうかこう)を有している。

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 初生寺境内のツルマンリョウ自生地(はじょうじけいだいのつるまんりょうじせいち)

区分

天然記念物

名称

初生寺境内のツルマンリョウ自生地

所有者

初生寺

所在地

宇陀市榛原自明741番地

概要 ツルマンリョウとはヤブコウジ科に属する暖地性植物で直射光線にあたると枯死してしまう。花は葉腋に集束して出て、小花梗(しょうかこう)を有している。

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 戒場神社のホオノキの巨樹(かいばじんじゃのほおのきのきょじゅ)

区分

天然記念物

名称

戒場神社のホオノキの巨樹

員数

1株

所有者

戒場神社

所在地

宇陀市榛原戒場388番地

概要

ホオノキは、モクレン科に属する日本特産の植物である。葉は大きく、芳香もあるので、古くは食物も包んだ。材は、質が均一で美しく、かつ加工しやすいので建具、鞘(さや)、下駄の歯など様々に利用された。このように利用が多い樹木のため、早くから切り出され、老木は少ない。
戒場神社のホオノキは、目通り6.2m、高さ15mにおよぶ巨樹・老木で、300年以上の樹齢と推定できる。

写真

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 戒長寺のお葉つきイチョウ(かいちょうじのおはつきいちょう)

区分

天然記念物

名称

戒長寺のお葉つきイチョウ

員数

1株

所有者

戒長寺

所在地

宇陀市榛原戒場386番地

概要

イチョウは、裸子植物のイチョウ科に属する植物である。

イチョウが下等なシダ類のように胞子を作る胞子植物と高等な種子を作る種子植物との中間性をおびていることは、受精に際してシダ類と同様に運動する精虫ができるので、植物進化系統学上きわめて有名である。

シダ類がその胞子を葉につけるのと同様に、お葉つきイチョウがその種子を葉につける現象は、植物の系統的進化発生を示すもので、学術研究資料として、きわめて貴重な存在として知られている。

戒長寺のお葉つきイチョウは、目通り4m、高さ30mである。

写真 戒長寺のお葉つきイチョウ

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 佛隆寺のサクラの巨樹(ぶつりゅうじのさくらのきょじゅ)

区分

天然記念物

名称

佛隆寺のサクラの巨樹

員数

1株

所有者

佛隆寺

所在地

宇陀市榛原赤埴1684番地

概要

ヤマザクラとエドヒガンの雑種であるモチズキザクラの一種である。ヤマザクラの特徴もあり、学術上、貴重な巨樹である。奈良県下最大・最古ともいわれ、根囲は7.7mである。

写真

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 高井の千本杉(たかいのせんぼんすぎ)

区分

天然記念物

名称

高井の千本杉

所有者

個人

所在地

宇陀市榛原高井679番地

概要 高井の千本杉は、約1m4四方の古い井戸の周囲に数本の密植された杉が成長過程で株元が癒着した連理材形式のもので、地上1m位から16本の枝幹がかぞえられる。全体として目通り約25m、樹高約30mの巨大なものである。

写真

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 内牧の無渋榧(うちまきのしぶなしがや)

区分

天然記念物

名称

内牧の無渋榧

員数

1株

所有者

個人

所在地

宇陀市榛原内牧736番地

概要 無渋榧は、新鮮な間は種子には褐色の澁皮が胚乳に密着しているが、乾燥すれば澁皮が離れ、外部の堅い殻を割れば直ちに白い胚乳があらわれるというもの。別名では白米ガヤとも呼ばれている。

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 海神社本殿(かいじんじゃほんでん)

区分

建造物

名称

海神社本殿

員数

1棟

所有者

海神社

所在地

宇陀市室生大野1655番地

年代

江戸時代前期

概要 3間社流造(ながれづくり)、桧皮葺(ひわだぶき)。2棟の建物を一つの屋根に葺いた珍しい形式で、正面屋根両端に千鳥破風を設け、両脇の間は正面に扉構え、3方羽目板囲い、中央間は吹抜となる。現社殿の再建年次は明らかでないが、形式手法から江戸時代前期ごろとみられる。
写真 海神社

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 龍穴神社本殿(りゅうけつじんじゃほんでん)

区分

建造物

名称

龍穴神社本殿

員数

1棟

所有者

龍穴神社

所在地

宇陀市室生1297番地

年代

江戸時代:慶安5年(1652年)

概要

龍穴神社は、室生寺の南東約0.5mの杉の巨樹が林立する中に開かれた神社で、東背後の渓流にある岩窟を、龍王の棲まう「龍穴」として祭祀したことをその起源としている。「龍穴」は平安前期以降、朝廷から祈雨神(きうじん)として信仰されるようになり、「室生龍穴」の名は国史にも散見されるようになる。『延喜式』神名帳の宇陀郡17座のうちに「室生龍穴神社」があり、祈雨の効験をもって応和元年(961)には正四位下まで神階を進められている。この「龍穴」信仰に基づき創建された室生寺とは密接な関係を有し、古代から近世を通じ、習合・一体的に経営されている。当建物の内側に「若宮社」の墨書があり、寛文11年(1671)に当地で「ハシラタテ」を行った旨の記述があることから、春日大社の寛文の造替の一代前に当たる、慶安5年(1652)に造営された春日若宮神社の旧本殿であると認められる。

現在、春日大社の旧本殿の遺構は、本社と若宮を合わせ可能性のあるものを含めると38例確認されており、龍穴神社の本殿もその1つである。

備考

旧春日若宮本殿

写真 龍穴神社

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 絹本著色真言八祖像(けんぽんちゃくしょくしんごんはっそぞう)

区分

絵画

名称

絹本著色真言八祖像

員数

8幅

所有者

室生寺

所在地

宇陀市室生78番地

年代

鎌倉時代

概要 真言八祖とは、真言宗の法脈を受け継いだ8人の祖師像である。京都の教王護国寺(きょうおうごこくじ)(通称:東寺)には真言七祖像が伝来しており、そこに開祖空海を追加したものが真言八祖像である。現在、京都府醍醐寺五重塔の板絵が最古であり、以降は塔内部の壁画や灌頂(かんちょう)で懸用する掛幅として多くの真言密教寺院で描き継がれたようである。室生寺のそれにおいても延慶元年(1308)の灌頂堂建立時に両部大壇具(りょうぶおおだんぐ)(国重要文化財)と併せて製作された可能性が考えられる。

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 能面(のうめん)

区分

彫刻

名称

能面

員数

8面

所有者

正福寺

所在地

宇陀市室生大野

年代

室町時代~桃山時代

概要 霊の男(阿波男か?)祐康、永享年中(1429~1440)の墨書あり。翁、黒色尉(こくしきじょう)、父尉(ちちのじょう)、飛出(とびで)、延命冠者(えんめいかじゃ)、霊の男(怪士か?)、若い女。これらの面は元は同地の海神社伝来のもの。面箱蓋裏に永禄5年(1562)小五月会(こさつきえ)の神前能に面箱を寄進した旨の墨書がある。翁面の刻銘の「十二」は長谷寺に拠って室町時代に活躍した大和猿楽座の十二太夫座をさすと考えられ、この座が海神社でも演能されたことを示す。これらの面はいくつかの年代にわたるが、いずれも近世に下るものではなく、まとまった民間の古面として貴重である。

備考

奈良国立博物館寄託

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 染田天神講連歌堂(そめだてんじんこうれんがどう)

区分

有形民俗文化財

名称

染田天神講連歌堂

員数

1棟

所有者

染田区

所在地

宇陀市室生染田

年代

江戸時代

概要 宇陀市室生染田(旧山辺郡東里村)の鎮守、春日神社境内に建つ。正面5.88メートル、側面6.78メートル、入母屋造り・鉄板葺(もと茅葺)・妻入で、正面及び右側面前方部のみ開口部を設け、縁を廻している。内部は天井を高く張り、広い空間構成としている。中央奥は厨子を据え、その両脇間は物入れとしている。現在の建物は、18世紀中頃のものと思われるが、厨子部分は、それよりやや時代が遡るとみられ、簡素ながら他にあまり例を見ない建物である。

この染田天神は、多田の地侍多田順実が、南北朝時代貞治年間(1362~1368)に天神御影を感得し、居館近くの染田に祀ったのが始まりと伝える。周辺の都介郷の地侍層は、これを中心として「東山内天神講」を結び、法楽連歌として以後、天神千句会がたびたび開催されてきた。

連歌会には、毎年恒例の連歌と個人の発願による立願連歌の別があったが、各地侍が順に頭役を務め、居宅や寺院で天神御影を掲げその前で興行された。この連歌会は、武士団の連帯感強化の役割をも果たすことになり、天神講は南朝方に与した「東山内一揆」であったと推測されている。天神講の活動は、残された応永16年(1409)から近世に至る連歌懐紙等の多くの関係資料により窺うことができる。

写真 染田天神連歌堂

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光明寺山門(こうみょうじさんもん)

区分

建造物

名称

光明寺山門

員数

1棟

所有者

光明寺

所在地

宇陀市大宇陀西山121番地

年代

江戸時代(慶安~寛文)

概要

光明寺は、遍照山朝徳院と号する融通念仏宗の寺院である。寺院の創立については明らかでないが、応永10年(1403)大念仏宗本山恵観浄善の弟子永欣を中興とし、天正14年(1586)、法俊が再興したと伝える。

山門は一間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺(ひわだぶき)の建物で東に面している。上層には、梵鐘(ぼんしょう)を吊り、鐘楼門(しょうろうもん)としている。山門の建立年代は明らかでないが、梵鐘に寛文13年(1673)の刻銘があり、木鼻・虹梁(こうりょう)の形式から慶安から寛文までの間に建築されたと考えられる。

上層内部に昭和10年(1935)の修理棟札が残り、この頃に軒廻りに及ぶ修理が行われていることがわかる。主要部材は欅が使用され、全体的に当初材がよく残り保存状態もよい。堅実な手法を用いた江戸時代中期の建築として好例である。

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山邊家住宅(やまべけじゅうたく)

区分

建造物

名称

山邊家住宅

員数

1棟

所有者

個人

所在地

宇陀市大宇陀上1998番地

年代

江戸時代後期(天明5年頃)

概要

山邊家は旧松山町域に所在し、「宇陀紙」の仲買商の惣代であった。

主屋は南北に走る上町通りに西面して建ち、規模は桁行7間、梁間6間、平入で、屋根は切妻造、桟瓦葺(さんかわらぶき)、正背面に庇を付ける。建設年代は天明5年(1785)の年紀のある祈祷札が棟木に取り付けられていたことから、この頃の建築と考えられる。

山邊家住宅主屋は旧松山町内に残る町屋のうち建設年代が古く、内部は上質な意匠を持っている。間取りや表構えに後世の改変がみられるものの当初材がよく残り、松山地区の商家を知る上で貴重な建物である。

写真

山邊住宅

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水晶五輪塔納置黒漆宝篋印塔形舎利殿(すいしょうごりんとうのうちくろうるしほうきょういんとうがたしゃりでん)

区分

工芸品

名称

水晶五輪塔納置黒漆宝篋印塔形舎利殿

員数

1基

所有者

室生寺

所在地

宇陀市室生78番地

年代

室町時代:永正9年(1511年)

概要

下より、須弥壇(しゅみだん)、基壇、軸部、屋根、相輪(そうりん)の順に組み上げた厨子である。屋根の形が階段状で四隅に方立を立てている点に特徴があり、この種の塔を宝篋印塔といい、本来は宝篋印陀羅尼を奉安するのに用いられた。軸部に正面、両側面の三方に観音開き扉を開け、正面扉の内側に不動明王と愛染明王(あいぜんみょうおう)を描き、両側面扉四面には一軀づつ、四天王像を描いている。内陣には木製漆箔(しっぱく)の蓮台に載った水晶製五輪塔を奉安している。奥壁には紺紙金字宝篋印陀羅尼を貼付しているが、その点は宝篋印塔の本義に則しており、肉舎利(舎利)と法舎利(経典)を併納したことがうかがえる。この陀羅尼には永正9年(1511)5月20日の奥書があり、厨子の製作もおよそこの頃と推測される。

本作のように舎利厨子の扉に不動明王と愛染明王を描いた例は、鎌倉時代末から室町時代にかけてしばしば見ることができるが、これは西大寺・叡尊が行った「如意輪不動愛染三顆宝輪華法」のような真言寺院の宝珠法に基づくものと考えられる。

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 木造大日如来坐像(もくぞうだいにちにょらいざぞう)

区分

彫刻

名称

木造大日菩薩坐像

員数

1躯

所有者

岩室区(岩室内垣内)

所在地

宇陀市大宇陀岩室372番地

年代

平安時代(10世紀後半~11世紀前半)

概要

皇大神社境内に建つ大日堂の本尊として祀られる大日如来像。法界定印を結ぶ胎蔵界の姿で、かつて当地にあった崇福寺(明治7年廃寺)の旧仏と伝えられる。

等身大の一木造り。頭体幹部は欅材、脚部は桧材を用いる。異種材を併用するのは平安時代中期にしばしばみられる特徴で、脚部材の接合面を体幹部の形状に合わせてわずかに湾曲させる手法や、脚部の浅い内刳りにも同じ時代性がうかがえる。

大日如来像の作例は多くが智拳印を結ぶ金剛界の姿で、胎蔵界の像は県内では少ない。

本像は宇陀地方に伝わる平安時代中期に遡る密教仏の優品として貴重である。

大日如来坐像岩室区

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 室生の獅子神楽(むろうのししかぐら)

区分

無形民俗文化財

名称

室生の獅子神楽

所有者

室生神楽保存会

所在地

宇陀市室生

概要

宇陀市室生の龍穴神社(りゅうけつじんじゃ)の秋の例祭で行われる。祭り当日に五つの垣内(かいと)にて垣内マワシを行い、その後、渡御に加わり、室生寺境内の天神社および龍穴神社で奉納をする。

室生の獅子神楽は室生寺より獅子を与えられたことより始まるという伝承がある。かつては青年団によって舞われていたが、昭和55年に青年団が解散、保存会が結成された。平成21年には子供神楽もでき、龍穴神社では保存会の獅子神楽に先立って継承のために保存会と子供神楽による獅子が舞われている。

龍穴神社の祭礼に付随した、宇陀地域の代表的な二人立ちの獅子舞として貴重である。室生の獅子舞

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 龍口の獅子舞(りゅうぐちのししまい)

区分

無形民俗文化財

名称

龍口の獅子舞

所有者

龍口獅子舞保存会

所在地

宇陀市室生龍口

概要

宇陀市室生龍口の白山神社の秋の例祭でおこなわれる。宵宮、本宮の日にまず各氏子宅で、次いで本頭屋(ほんとうや)及び相頭屋(あいとうや)宅で舞った後、白山神社への渡御に加わる。かつては男子によって舞われていたが、子供が減少したため昭和30年代初期に青年会が三重県名張市の矢川や伊賀竜口、安部田地区等から敢国神社(あえくにじんじゃ)系統の獅子を倣うことで行事が続けられ、平成4年に保存会が結成された。

白山神社の祭礼に付随した、伊賀地域の影響を受けた宇陀地域の代表的な二人立ちの獅子舞として貴重である。

 

龍口白山神社の獅子舞

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飯降薬師の磨崖仏(いぶりやくしのまがいぶつ)

区分

史跡

名称

飯降薬師の磨崖仏

所有者

室生向渕西出上垣内

所在地

宇陀市室生向渕地内

年代

飛鳥時代後半(白鳳期)

概要

飯降薬師の崖仏は、標高約465mの山中に所在し、岩面の中央部を、幅約3.7m、高さ約4.5mにわたって平滑にし、複数の仏像を高肉彫りしたものである。損傷が甚だしく図様は不明瞭だが、中央区・西区・東区・下区の四部分から構成されている。

中央区には中央に二体の如来像が倚坐して並び、その両側に群像を配する。現状で二仏の東側に菩薩をはじめ比丘・神将形など合計八体が認められる。西側にも同様の群像が表現されていたと推定できるが、菩薩一体と比丘の他は摩滅して不明瞭である。

全国的に見ても奈良時代以前に位置づけられる石仏は多くはなく、その中でこれほど多様な群像を彫り出し、製作優秀なものは希有であり、日本における磨崖仏の展開を知る上で重要な位置を占め、貴重な事例である。

写真

飯降薬師の磨崖仏

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片岡家文書

区分

有形文化財(古文書)

名称

片岡家文書

所有者

個人

所在地

大宇陀田原地内

年代

室町時代~昭和時代

概要

宇陀市大宇陀田原に所在する片岡家は、歴代当主が近世のほぼ全期間を通じ田原村の庄屋をつとめ、郡山藩領時代には大庄屋、幕府領時代には(惣代庄屋)、明治以降はや村長などもつとめている。

片岡家には、田原村や田原組村々に関する村方文書が豊富に残っており、その数は近世文書を中心に1万3千点を超える。

当家文書で最も数が多いのが延宝7年(1679)から明治4年(1871)までの近世文書で、7割以上を占める。17世紀後半から幕末までの奈良奉行所・京都町奉行所からの触書廻状、また春日若宮おん祭りの負担に関する文書が多く残るのが特色で、大塩平八郎の乱や天誅組の変に関する文書も含まれる。明治4年(1871)の廃藩置県以降の文書のうち、先々代および先代の当主が記した日記・記録類は、世の中の動きが克明に記されており貴重である。

質・量ともに優れた県内屈指の村方文書として高い価値を有するものである。

写真

片岡家文書

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お問い合わせ

教育委員会事務局文化財課 

宇陀市榛原下井足17番地の3

電話番号:0745-82-3976/IP電話:0745-88-9365

ファックス:0745-82-3900

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