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更新日:2015年7月21日

宇陀市について

宇陀市の位置と地勢

宇陀市は奈良県の北東部に位置し、北は奈良市、山添村、西は桜井市、南は吉野町、東吉野村、東は曽爾村、三重県名張市に接して、市の面積は247.50平方キロメートル(平成26年全国都道府県市町村別面積調において247.62平方キロメートルから変更)に達し、奈良県全体の6.7%を占めることとなります。

近鉄大阪線によって、京都・大阪方面や名古屋・伊勢方面と結ばれており、また、大阪方面から宇陀市への自動車によるアクセスについては、最寄りのICである名阪国道針ICと大阪・松原JCT(西名阪自動車道)とが約1時間で結ばれる距離にあります。

また、宇陀市は大和高原とよばれる高原地帯に位置しており、一定の平野部を有しているものの、山間部にも集落等が点在しています。土地利用の状況は、山林が全体の72%を占めており、宅地は4%弱になります。

宇陀市の気候

気候は、内陸性気候であり、冬は季節風の影響を強く受けるため寒さが厳しい一方で、夏は冷涼で過ごしやすいです。降水日数も多く、年間降水量は約1,500mmとなっています。

宇陀市の歴史

宇陀市は、平成18年1月1日、宇陀郡の旧大宇陀町・旧菟田野町・旧榛原町・旧室生村の4か町村の合併により誕生しました。

宇陀の地は、古くから「古事記」「日本書紀」等の歴史書のなかに記載がみられ、神武伝承の舞台としても知られています。また「万葉集」では柿本人麻呂の「かぎろひ」の歌等にも詠まれており、これらのことから古代における王朝との関わりをうかがうことができます。うだ記紀万葉



(宇陀にまつわる神話を詳しく見る)


平安時代以降、この地域は荘園として興福寺の支配下にありました。南北朝時代から戦国時代にかけては、伊勢国司北畠氏の勢力を次第に受けるようになりましたが、その後江戸時代には宇陀松山藩として織田氏4代の統治の後、幕府の直轄地となりました。


この地域は大和と伊賀・伊勢を結ぶ東西の交通の要衝であり、室町時代に始まり江戸時代に盛んになった庶民のお伊勢参りのルートにあたり、宿場町として繁栄しました。
維新後、明治元年に奈良県(明治元年~2年の一時期は奈良府)となりますが、明治9年に奈良県は堺県と合併、さらに明治14年には大阪府に併合されます。明治20年に晴れて大阪府から独立し再び奈良県が設置され、この地域は宇陀郡に属することとなりました。
明治22年の町村制の施行により、宇陀郡は1町11村から構成されることとなりました。


旧大宇陀町は、昭和17年に松山町・神戸村・政始村・吉野郡上竜門村が合併して誕生しました。旧菟田野町は、昭和31年に宇太町(昭和10年に宇太村が町制を施行)と宇賀志村の合併で誕生しました。旧榛原町は、昭和29年に榛原町(明治26年に榛原村が町制を施行)に伊那佐村、さらに昭和30年に内牧村の編入合併、昭和44年4月に桜井市の柳・角柄を編入して誕生しました。旧室生村は、昭和30年に室生村・三本松村・山辺郡東里村が合併して誕生しました。


そして、平成16年9月1日に、旧大宇陀町・旧菟田野町・旧榛原町・旧室生村は「大宇陀町・菟田野町・榛原町・室生村合併協議会」を設置して合併協議に入り、平成18年1月1日に合併により「宇陀市」が誕生しました。

 

お問い合わせ

市長公室秘書広報情報課 

宇陀市榛原下井足17番地の3

電話番号:0745-82-3912/IP電話:0745-88-9083

ファックス:0745-82-3900

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