おなみ
室生大野緑川の豪商杉山平左衛門の下で働く女性で、大野の地蔵菩薩を深く信心していた。ある日、平左衛門の屋敷が火事となった時、おなみは火付けの疑いを掛けられ火刑に処されることに。「わらわは、とがめなくして非道にあう、こと宿業なれば是非ない。唯願わくば地蔵尊宿業の罪を助けて来世浄土に導き給え」と一心に念仏し緑川の刑場にて火あぶりに遭った。しかし業火のあとそこにはおなみが信心する地蔵が光明を放って立っており、彼女は傍らの石上で念仏しており無事であった。官人はその霊威を恐れて清水を汲み、地蔵の火を消し止めた。それ以来身代わり地蔵として半焼けの状態で祀られることになった。おなみはそれを機に妙悦と称して出家し、信仰生活に精進したという。
おなみのゆかり地
大野寺
役行者が開き、天長元年(824)、弘法大師によって堂宇が建立されたと伝えられる。室生寺の西の大門に位置する宇陀川沿いに立つ。対岸の切り立った岩壁には弥勒磨崖仏(大野寺)が線刻されており、13.8mと国内で最も高い磨崖仏である。半面が焼けた身代わり地蔵が安置されている。