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天武朝のころから文武朝にかけて活躍した宮廷歌人。後世、山部赤人とともに歌聖と讃えられる。持統6年(692)軽皇子に随行し宇陀の阿騎野を訪れた際、「ひむがしの野にかぎろいのたつ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ」と詠った。これは万葉集の中でも秀歌のひとつに数えられる。天武・持統天皇にとって宇陀は壬申の乱の際に通った思い入れがある地である。持統天皇の皇太子である軽皇子は父(草壁皇子)を偲んでこの阿騎野へ猟に訪れたと考えられている。これは皇子が皇位継承者であることを臣下に示したとも考えられている。
万葉植物の植栽や、東屋、遊歩道が整備された公園。柿本人麻呂の秀歌の歌碑があり、連なり重なる山々も一望でき、遥か万葉のロマンに浸ることができる。
「阿騎野」は現在の大宇陀迫間や中庄周辺のことを指すと考えられ、推古天皇が薬猟を行った菟田野(うだのの)も阿騎野付近であると思われる。このことから、古来宮廷の狩場として知られていた場所であったことは疑いない。
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