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天武天皇の妻で、後の持統天皇。夫の事業を継承し政治手腕をふるった。壬申の乱の際に大海人皇子の一行は宇陀(菟田吾城・甘羅村・菟田郡家)を通り軍備を整えたといわれている。それからも天武天皇や持統天皇一行は菟田吾城に行幸しており、皇位継承者である草壁皇子や軽皇子に対し、自分たちの原点とも言える「壬申の乱」の日のことを思い起こさせ、決意を新たにさせていたのではないかといわれる。
阿騎野・人麻呂公園
古代の遺構が残る中の庄遺跡にある公園で、壬申の乱の際に軍備を整えたと伝わる菟田吾城等付近に比定されている。
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