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初代天皇とされる神話上の人物。九州の日向から東進し、橿原宮で即位するまでの間に、宇陀を舞台に戦いを繰り広げている。吉野を経て菟田下県の穿邑から宇陀に入り勢力下におさめると、ここを拠点に奈良盆地に向けて攻め込み大和を平定、橿原宮にて即位した。即位後祭祀を行ったという鳥見山霊畤は鳥見山とされる。
鳥見山
墨坂神社
「墨坂」という地名は神武天皇軍東征の途中、大和菟田の高倉山から国を見晴るかした時、賊軍が天皇軍を防ごうと”いこり炭”(山焼きの意味)をもって防戦したため、菟田野川の水をもっていこり炭を消火し、敵の不意をついて勝利したという故事にちなむと、いわれている。
この「墨坂」という名は榛原萩原西峠付近であると考えられているが、現在の墨坂神社は文安6年(1449年)9月28日に上榛原天の森(西峠)から下榛原天野(現在の宇陀市榛原萩原天野)に遷座されたものである。
菟田の朝原
水を使わずに餅のような飴を作って戦勝祈願の占いをしたという場所は、宇陀市榛原雨師の丹生神社周辺とする説がある。
八咫烏神社
『続日本紀(しょくにほんぎ)』によると、慶雲2年(705年)に八咫烏の社を宇陀郡に置かれたことが記されており、その創祀はとても古い。八咫烏は記紀によると熊野から山深い道を案内したといわれ、人物としては賀茂建角身命と呼ばれる。
伊那佐山
宇陀での戦いのなかで神武天皇は、「楯(たた)並(な)めて伊那瑳の山の木の間(ま)ゆもい行きまもらひ戦えば我はや飢ぬ嶋つ鳥鵜飼が徒今助け来ね」とうたった。「伊那瑳の山」とは、宇陀市榛原山路を中心にそびえる標高約637mの伊那佐山と考えられる。伊那佐山(いなさやま)は、穿邑から正面に見える山で、山頂には式内社の都賀那岐(つがなぎ)神社が鎮座している。
男坂
大宇陀にある半坂(半坂峠)にあてる説がある。「男坂」が「ナンサカ」となり、やがて「ハンサカ」となったともいわれている。
高倉山
神武天皇が登ったという「高倉山」は、大宇陀守道と大東との間にある高倉山にあてる説が有力だが、東吉野村の高見山とする説もある。大宇陀守道の高角神社には高倉山顕彰碑が建てられている。
女坂
桜井市粟原と宇陀市榛原笠間との境界周辺と考えられ、古くは大峠をこれにあてる説もある。
穿邑顕彰碑
菟田下県のなかにあるひとつの邑。現在の地名の「宇賀志」は、穿邑の「穿」に由来している。「宇賀志」は、かつての「穿邑」の中心地だった思われる。小高い丘の上にそれを示す顕彰碑がある。
宇賀神社
イワレヒコ(神武天皇即位前の名前)がエウカシを殺した時に流れた血が地面を染めたことに由来する「血原」という地のすぐ近くに鎮座する。宇迦斯神(うかしのかみ)を祭神とする。
菟田の高城・桜実神社(八つ房杉)
宇陀に入って最初に陣を張ったところと伝わる。また、高城のある山の背後の桜実神社境内には、その際にイワレヒコが植えたと伝わる八つ房杉が今も残る。その勇壮な枝ぶりは天然記念物にも指定されている。
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