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渡来系氏族西文氏出身の官人で、壬申の乱の際大海人皇子(天武天皇)を助け軍功をたて、707年に没するまで天武政権の重臣として活躍した。江戸時代に偶然発見されたその墳墓は発掘調査によっ古代の上級官人の埋葬方法が明らかになった数少ないもので、飛鳥時代の代表的な火葬墓である。
文祢麻呂墓
天保2年(1831)偶然榛原八滝の山中で発見された骨蔵器から、文乃禰麻呂が埋葬された墓であることが判明した。金銅製の外容器の内部に入った遺骨を納めたガラス瓶と、銅製蓋付の長箱に金銅短冊形の墓誌を入れたものと一括して出土した。明治10年まで、近くの龍泉寺にその出土品が保管されていたが、再び発掘されて現在の東京国立博物館の所蔵となりその後、昭和27年に国宝に指定された。
龍泉寺
発掘された文乃禰麻呂の出土品(骨蔵壺、墓誌等)のレプリカを境内に蔵し、墓碑を立てている。
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