中将姫
横佩の右大臣藤原豊成卿の息女。継母の讒言によって14才で菟田野日張山に追いやられた。家臣である武士嘉藤太は自身に降りかかった不幸に一切の恨み言も言わない孝養深い姫を殺すことができず、その命を助けた。それから姫は嘉藤太夫妻とともにここに草庵を結び、2年6ヵ月の間念仏三昧の生活を送った。ある時、父の豊成公がこの地に遊猟に来た際、山中で慎ましく老婆と暮らす姫と偶然に再会、奈良の都へ連れ帰る。都へ帰るも姫の仏道への志は強く、その後当麻寺で出家、極楽浄土の有り様をえがいた当麻曼荼羅を織り上げたという。
中将姫のゆかり地
当麻寺で出家した後、姫はかつて自分が暮らした日張山に堂を建立、手ずから刻んだ自らの影像と嘉藤太夫婦の形像を安置した。日張山青蓮寺と名づけられた山寺は、今も中将姫のいたころの雰囲気が漂う。