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更新日:2014年4月1日
東北地方太平洋沖地震によって犠牲者となられた方々に、心よりご冥福を申し上げますと共に、被災地の皆様に、心からお見舞い申し上げます。
テレビやラジオ、インターネットで災害の報道等をご覧になって「何とかしたい、お手伝いしたい、お助けしたい」と思われる気持ちは大切であり、大変ありがたく思います。過去の災害の経験から物資も当然必要なのですが、被災地への輸送がままならない状況や物資が届いたとしても配布の問題があり、被災者にとって最も役に立つのは義援金だという結果がでています。
現在、宇陀市役所をはじめ、市の各公共施設で義援金の受付を実施しておりますので、ぜひとも援助をしたいというお気持ちは義援金という方法で活かしていただければ、被災者の方々も喜ばれると考えています。また市民の皆さまに救援物資のご協力をいただきたいときには、お願いしたいと考えておりますので、ご協力をよろしくお願いいたします。
なお、宇陀市としましては、国、県との調整をしながら、全面的に支援してまいります。
宇陀市長竹内幹郎
救援物資受付は終了しました(4月19日)
平成23年4月1日(金曜日)~4月15日(金曜日)まで市民の皆様に救援物資を募集させていただいたところ、個人17名、企業など団体の方々から26品目2万点以上に及ぶ物資の提供をいただきました。
皆様の暖かいご支援、ご協力に感謝申し上げます。
皆様からお寄せいただいた救援物資につきましては、4月18日(月曜日)に奈良県の集積場所である旧県立志貴高等学校へ搬入したほか、19日(火曜日)から市長が直接、福島県田村市、二本松市及び宮城県気仙沼市へお届けします。
【企業など団体】
ホームプラザナフコ榛原店様、プライスカット様、榛原オフィスサプライズ様、池田工業社様、山口農園様他1団体
【個人】
今中宏之様、木山裕昭様、中田真子様、松本トシエ様、吉田靖様、森岡郁子様、東山様他10名
危機管理課TEL82-1304/IP88-9070
県災害ボランティア本部が閉所されました。
平成23年11月下旬までに避難所から仮設住宅への入居が完了したこと等を受け、9月7日より設置運営されてきた県災害ボランティア本部が、11月30日をもって閉所されました。
今後は、奈良県社会福祉協議会の通常業務をとおして、被災地域の社会福祉協議会や関係団体の皆さまと連携しながら、復興へ向けた支援を続けてまいります。
この間、ご協力いただいた皆さまに感謝申し上げるとともに、今後ともご支援いただきたくお願い申し上げます。
【関連リンク】
宇陀市社会福祉協議会TEL0745-84-4116/IP88-9079
平成23年3月11日に東日本大震災が発生したことを受け、宇陀市では3月14日から義援金募集を行ってまいましたが、平成26年3月末をもって終了させていただきました。
この間多くの皆さまからの温かいご支援、ご協力により、募金総額は、24,424,854円となっています。
東日本大震災義援金にご協力いただいた皆さまに、ここに改めて心より御礼申し上げます。
厚生保護課TEL0745-82-2221/IP0745-88-9079
詳しくは、日本赤十字社奈良県支部のホームページをご覧ください。
詳しくは、中央共同募金会のホームページをご覧ください。
業務に就く前日の宿泊地から今回の支援地である気仙沼市民会館へ到着するまでに、被災状況を目の当たりにすることになるのであるが、報道されている内容を見るのとは感じ方がまったく違った。また、業務の合間、漁港や大津波で甚大な被害を受けた市内を視察したが、強い衝撃を受けたのである。
わたくしの業務は、市民会館職員として避難所の運営を補助することであり、引き継ぎを受けた基本的な業務のほか、避難所の運営である。業務自体については、市民会館の職員、わたくしたちと同じように支援に行っている島根県浜田市職員と、その他保健師などと行うこととなった。市民会館内では、避難生活が2月あまり経っていたこともあり、ある程度”行政”と避難者との役割分担ができている事項もあったのだが、支援物資の保管及び提供、避難者に対する配給の在り方、市民会館内において食事を提供するNPO団体との連携、炊き出し団体との連携、そしてこうした状況を踏まえた避難所としての市民会館の運営と行政職員の連携、こうしたことが総合的に調整が図られて、この大きな避難所の効率的な運営ができるのではないかと感じた。
避難者の立場に立てば、避難所の生活は極めて厳しいものがある。段ボールで仕切られたスペースの中で、毎日の生活を送るだけでなく、配給される食事の内容、市民会館内の衛生的な問題など、これまでに避難所に経験がないわたくしたちには耐えうることができるだろうかと感じた。確かに、現在200人近く生活する避難所の運営は日々重要である。しかし、これから復興までにかなりの時間を要することを考えると、この避難所の維持を図るとともに、避難者が一日も早くこの避難所から出て、生活できるような施策はできないのかと感じた。市民会館となりの中学校のグランドには仮設住宅が設置されていたが、その数はまだまだ足りない。
さて、派遣期間中のエピソードである。5月18日は、午後から少し時間があったので、気仙沼市役所へ行った。市役所内のすべてのフロアを見て回ったが、本庁舎では議会が開会されていたし、執務についても当然通常業務もされているようで、職員のほとんどが作業着を着ているのを除けば、特別な感じはしなかった。ただ、分庁舎には、災害対策課と災害対策本部が設置されており、分庁舎のホールでは、16日から受付が開始された被災者災害支援金の申請者でごったがえしていた。この申請受付事務には、わたくしたちと同じように、愛媛県松山市職員、長野県東御市職員などにより行われていた。また、ホールの壁には至るところに未だ安否情報が貼り出されており、その安否情報の内容や、その安否情報を確認している人たちの姿をみていると、その状況に改めて今回の震災被害の大きさを実感した。
その後、気仙沼市役所から徒歩で市民会館に戻る途中、危機管理課から貸与を受け着用していた上着背面の「宇陀市」の文字を見て、偶然ひとりの女性に声をかけらた。その場で話をしていると榛原天満台のご出身とのことであった。震災当日、この女性は小学校へお子さんを迎えに行ったあと、高台のご自宅で大津波からの難を逃れたとのこと。また、インターネットで今回の宇陀市職員による被災地支援も知っておられた。宇陀市から職員が支援に来ていることに対する感激と支援に対する感謝の言葉をかけていただき、逆にこちらの方が大変うれしく思ったとともに、宇陀市職員として支援に来させていただいた重みを感じた。体への気づかいと早期の復興をお祈りして業務に戻った。
今回の被災地支援については、限られた期間に、限られた場所で、限られた事項であったが、わたくしにとって、とても貴重な体験をさせていただき、快く被災地支援に送り出していただいた関係の方々に深く感謝したい。今回の震災による復興には、かなりの時間と費用を要するわけであるが、ほんの少しでも被災地の力になれたのであればうれしく思う。そして、今回の被災地支援が、宇陀市のまちづくりにも役立つことと実感している。
今後、被災地は復興に向けてさらなる力が必要なわけであるが、機会があれば携わりたい。
私たちは、4月1日から6日まで宮城県気仙沼市の面瀬(おもせ)中学校の避難所で派遣活動をさせていただきました。
避難所は、大変厳しい環境で、日中もかなり冷えましたが、暖房は夜間のみでした。
主な活動は、被災者の方の健康状態の把握、インフルエンザ、ノロウイルスなどの感染症予防、そしてエコノミークラス症候群とも言われる血栓の予防のための運動指導を行いました。
また、被災者の恐怖体験や将来への不安など、傾聴し寄り添いました。
避難所の状況や問題は日々変化し、家は全壊しないで、避難所の付近で住んでいる方からも、体調不良のため訪問の依頼もありました。
災害時の保健活動は、悪条件の中、平常時以上のスピードで状況分析と判断が必要とされました。限られた資源や方策のなかで、あるべき方向性を見失わず、救援に関わる関係者と十分に連携して活動体制を取りました。避難されている方々の健康状態の悪化防止と個々の健康状態に即応することが求められました。
また、高齢者や子ども、乳幼児を抱えた母親、障害者、精神や身体のご病気のある方に対しては、特別な配慮が必要であり、被災早期からニーズに応じたケアの大切さも改めて感じました。
活動した避難所の地域は、平常から地域のつながりが密接で、住民同士が顔見知りで互いに声掛けや、助け合う場面が多くみられ、避難場所は町内会ごとに区分し様々な支援も混乱なく行えました。こうしたことから、防災意識を高めると共にコミュニティづくりの大切さを実感しました。
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