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倭姫命と伊勢神宮

篠畑神社『日本書紀』垂仁(すいにん)天皇3年3月条に「天照大神(あまてらすおおみかみ)を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)より離ちまつりて、倭姫命(やまとひめのみこと、垂仁天皇の皇女、豊鍬入姫命の姪)に託(つ)けたまふ。ここに倭姫命、大神を鎮め坐させむ処(ところ)を求めて、菟田の筱幡(ささはた)に詣(いた)る。さらに還りて近江国に入りて、東のかた美濃を廻りて伊勢国に至る。」とあります。
宮中で祀られていた天照大神は、崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命に託され、倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)で祀られます。その後、垂仁天皇3年には、天照大神を豊鍬入姫命から離し、倭姫命に託します。天照大神を託された倭姫命は、その鎮座地を求めて倭笠縫邑を出発して、菟田の筱幡、さらに引き返して近江国に入り、美濃を廻って伊勢国に至ります。その後、今の伊勢神宮が成立したといわれています。『日本書紀』には、具体的な地名は、「倭笠縫邑」と「菟田の筱幡」が登場するのみで、初期の伊勢神宮起源伝説のなかで「菟田の筱幡」は、重要な位置にあったのでしょう。
平安時代にできた『皇太神宮儀式帳』や鎌倉時代にできた『倭姫命世紀』には、多くの天照大神を祀った場所が記載されるようになります。『倭姫命世紀』によると倭姫命の巡幸地は、倭笠縫邑から伊勢 五十鈴宮(現在の伊勢神宮 内宮)に至るまで26箇所となります。中世(鎌倉時代)に伊勢神宮ゆかりの地が増加している背景には、伊勢神宮の神領が各地に広がったことや御師(おし)と呼ばれる神職が伊勢信仰を広めたことが影響しています。伊勢神宮にいたるまでのこれらの神社は元伊勢とも呼ばれています。

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