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速総別王(はやふさわけのおう)と女鳥王(めとりのおう)

仁徳天皇には、四人の妻がいました。事件は五人目の妻になるようにと、女鳥王(天皇の異母妹)に求婚したことが発端でした。女鳥王は、大后の石之日売命(いわのひめのみこと)のせいで、妻となった姉・八田若郎女(やたのわかいらつめ)が不遇を強いられていることを知っていたので、きっぱり断るつもりでした。ところが、求婚のため仁徳天皇の使者としてやってきた速総別王(天皇の異母弟)に、逆にプロポーズをしてしまったのです。
このあと、仁徳天皇が直接、女鳥王の家まで来ますが、それに対し、女鳥王は「今織っているのは速総別王の衣です」と強気に断りました。それどころか、速総別王と仁徳天皇(大雀命(おおささぎのみこと))とを鳥にたとえて、「ハヤブサだったら、スズメなど捕まえなさいませ」などと、謀反をけしかけるような歌を詠みました。

これに怒った仁徳天皇は、軍隊を出動させます。二人がまず逃げたのは、倉椅山(くらはしやま、現在の桜井市音羽山)でした。速総別王は、女鳥王の手を取って危ない岩場を登るなど、女鳥王を守りながら逃げました。
二人は、音羽山(おとわやま)を越えて宇陀に入り、曽爾へと進みました。宇陀から伊勢へと抜けようとしたのですが、「宇陀之蘇邇(そに)」で追いつかれて、ついには殺されてしまいました。しかも、女鳥王に仕えていた山部大楯(やまべのおおたて)という人物の手によって殺されてしまいました。

姫隠し岩

室生田口には、速総別王が女鳥王を岩陰に隠して仁徳天皇の追手から逃れたという伝説があります。女鳥王が隠れたという岩は、姫隠し岩と呼ばれています。
また曽爾村今井には、横穴式石室墳で構成される楯岡山古墳群があります。1号墳が速総別王の墓、3号墳が女鳥王の墓とする伝承があります。古墳の年代と二人の生年とは少々、異なりますが、いつの頃か不遇な二人を偲んでこのような伝承が生まれるようになったのでしょう。

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