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更新日:2020年4月10日
平成7年(1995)、中之庄(なかのしょう)遺跡の発掘調査によって飛鳥時代(7世紀後半~末)の掘立柱建物跡や石敷溝、池などが見つかりました。
中之庄遺跡周辺は『日本書紀』、『万葉集』にみられる古代の「阿騎野(あきの)」の推定地であり、壬申の乱(672年)、天武天皇の行幸(ぎょうこう・680年)、軽皇子の遊猟(ゆうりょう・692年)等の記事に「菟田吾城(うだのあき)」として登場します。軽皇子の遊猟では柿本人麻呂が同行し、歌を詠んでいます。
発掘調査によって見つかった飛鳥時代の遺構群は、その内容や年代などから「阿騎野」の中心施設の可能性が高いことから阿騎野・人麻呂公園として遺跡の整備が図られています。
<住所>宇陀市大宇陀中庄76-1
<アクセス>近鉄榛原駅より「大宇陀」行バス乗車。「大宇陀高校前」下車、徒歩5分
『日本書紀』推古19年(611)5月条に「夏五月の五日に、菟田野に薬猟す。」といった記載があります。菟田野(うだのの) は宇陀野のことであり、現在の奈良県宇陀市大宇陀迫間や中庄周辺の「阿騎野」のことを指すと考えられます。この記載は、史料で確認できるわが国最初の薬猟の記録でもあります。薬猟は宮廷行事として実施され、男性は薬効の大きい鹿の角をとり、女性は薬草を摘みました。
7世紀後半の万葉歌人(宮廷歌人)である柿本人麻呂が詠んだ歌は、よく知られているところです。『万葉集』巻1には、柿本人麻呂の歌、5首(45~49)が続けておさめられています。これらの歌は、持統6年(692)に行われた軽皇子(のちの文武天皇)の阿騎野への遊猟の時に詠まれたものです。
なかでも「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへりみすれば月傾かたぶきぬ(『万葉集』巻1・48)」は有名なところで、厳冬のよく晴れた夜明け前、東の空には「かぎろひ」、そして、西には月が傾いて淡い光をたたえている情景が歌にされています。この万葉歌碑が建っている尾根は、「かぎろひの丘万葉公園」として整備されています。
毎年ここで旧暦の11月17日に「かぎろひを観る会」が開催され、飛鳥時代の情景に思いを馳せています。
<住所>宇陀市大宇陀迫間25
<アクセス>近鉄榛原駅より「大宇陀」行バス乗車。「大宇陀高校」下車、徒歩3分
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