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更新日:2020年4月9日

寺社

神社

墨坂神社墨坂神社

神(すじん)天皇が大和国の疫病を鎮めるため、盾(たて)8枚と赤矛(ほこ)8竿を使って墨坂神、黒盾8枚と黒矛8竿を使って大坂(おおさか)神を祀ったところ、疫病がおさまったと『日本書紀』にあります。大和の東方を護る神として墨坂神を祀ったのが墨坂神社のはじまりです。このことから、近年は「健康の神様」として多くの方々が訪れるようになっています。

神社は西峠の「天ノ森(てんのもり)」にありましたが、室町時代(文安6年・1449年)に現在の場所に遷っています。毎年11月2日・3日の秋祭りには、神社と西峠の間で渡御(とぎょ)行列(お渡り)があります。

現在の春日造の本殿は、奈良の春日大社の本殿を江戸時代末の元治(げんじ)元年(1864)に移築されたものです。

<住所>宇陀市榛原萩原703

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<アクセス>近鉄榛原駅より徒歩10分

八咫烏神社やたがらす

身命/建角身命(たけつのみのみこと)を祭神とする八咫烏神社は、『続日本』の記載から雲2年(705)の創祀と考えられています。

江戸時代(文政年間・1818~1830)には、これまで石神殿であったものが春日造の社殿となりました。その後、昭和15年(1940)の神武天皇の即位を記念した紀元二千六百年事業にともなって、社域を拡張・整備し、現在に至っています。

『古事記』、『日本書紀』によると神武天皇が熊野から大和へと入ろうとしたときに道案内し、重要な役割をつとめたのが八咫烏(やたがらす・建角身命の化身)です。八咫烏は、中国の陽鳥としての考え方が影響しているようです。

八咫烏伝承は、もともと宇陀の在地氏族に伝承されていたと思われますが、8世紀以降、山城の賀茂県主(かものあがたぬし)が有力となってからは、賀茂氏が祖とする建角身命が八咫烏となったようです。

東京高等師範学校(現在の筑波大学)が中心となって、大正10(1921)年、大日本蹴球協会設立(日本サッカー協会の前身)されました。昭和6年(1931)には三足烏・八咫烏をシンボルマークとしています。中国の陽鳥(日の神・太陽のシンボル)としての考え方や神武伝承(神武天皇を大和へ導き、勝利に貢献)から、シンボルとなっています。近年は、スポーツの勝利や安全祈願の神社として多くの方々が訪れるようになっています。

<住所>宇陀市榛原高塚42

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<アクセス>近鉄榛原駅より「菟田野」「東吉野村役場」行バス乗車。「高塚」下車すぐ

佛隆寺仏隆寺

十一面観音菩薩立像を本尊とする真言宗室生寺派の末寺で、室生寺の南門とされています。

寺伝では、平安時代・祥(かしょう・3年/850年)に弘法大師の高弟恵(けんね)によって建立され、興福寺別当・円(しゅうえん)の再興といわれています。

弘法大師が唐(中国)から茶の種子と茶臼を持ち帰り、寺内に「茶園」を造ったといわれ、茶臼は現在も寺宝として伝えられています。佛隆寺が「大和茶発祥の地」といわれている所以は、ここにあります。

佛隆寺の石室(平安時代/重要文化財)は、堅恵の墳墓と伝えられています。

佛隆寺のサクラの巨樹(県天然記念物)は県内最大最古で、千年桜ともよばれており、秋にはこの周辺に彼岸花が咲き、真っ赤な花絨毯が広がります。

<住所>宇陀市榛原赤埴1674

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<アクセス>近鉄榛原駅より「曽爾村役場」行バス乗車。「高井」下車、徒歩30分

戒長寺戒長寺

真言宗御室(おむろ)派に属し、戒場(かいば)薬師ともよばれています。かつては、眼下の戒場集落もその寺域だったようです。

本堂内には、2体の薬師如来坐像をはじめ、千手観音坐像、月光(がっこう)菩薩立像、日光菩薩立像、毘沙門天(びしゃもんてん)立像、不動明王立像、勢至(せいし)菩薩立像、延命(えんめい)地蔵像(いずれも平安時代後期)が安置されています。鐘楼門には鎌倉時代(正応4年/1291)の梵鐘(重要文化財)があり、これには薬師如来に関係する十二神将が鋳出されています。

また、楼門横には、お葉つきイチョウ(県天然記念物)、東隣の戒場神社にはホオノキの巨樹(県天然記念物)があります。

<住所>宇陀市榛原戒場386

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<アクセス>近鉄榛原駅より「天満台東3丁目」行バス乗車。「天満台東2丁目」下車、徒歩30分

篠畑神社

篠畑神社『日本書紀』垂仁天皇25年条に、「大神(あまてらすおおみかみ)豊鍬入命(とよすきいりひめのみこと)より離ちまつりて、命(やまとひめのみこと)託(つ)けたまふ。ここに倭姫命、大神を鎮(しず)坐(ま)させむ処を求めて、田(うだの)幡(ささはた)詣(いた)る。さらに還りて近江国に入りて、東のかた美濃を廻りて伊勢国に至る。」とあります。

垂仁天皇の皇女である命(やまとひめのみこと)大神(あまてらすおおみかみ)を託され、この大神を鎮座させる所を求めて三輪山の麓から宇陀、近江・美濃をめぐり、伊勢に至って斎宮を建てたことが記されています。その後、今の伊勢神宮が成立したといわれています。

篠畑神社は、倭姫命が天照大神を祀った莵田の筱幡に由来し、伊勢へと通じる主要街道沿いにあります。最初に天照大神を祀った所は、西方約1kmあたりといわれていますが、現在に至るまでその祭祀は続いています。

<住所>宇陀市榛原山辺三2235

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<アクセス>近鉄榛原駅より「天満台東3丁目」行バス乗車。終点下車、徒歩20分

 

お問い合わせ

農林商工部観光課 

宇陀市榛原下井足17番地の3

電話番号:0745-82-2457/IP電話:0745-88-9081

ファックス:0745-82-8211

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